見出し画像

AIと認知科学と哲学 ヒトを深く理解することとAIデザインが渾然一体な理由

地域DX推進部西日本グループの安松です。もともとは社会学、学習科学、経営科学などが専門分野なのですが、この10年ほどは、調査・分析からワークショップ・ファシリテーション、コンセプト・デザインから機械学習モデリングまでを担当し、新商品サービス・新規事業開発、AI開発、業務改革などのプロジェクトに携わっています。

今回は認知科学と哲学がAIにどのような関わりがあるのかについておすすめの書籍とともにご紹介したいと思います。AI業界に興味がある方や、自分の専門分野をどのように活かして社会に貢献できるかを模索している方にとって参考になれば幸いです。

現在、本当に多くの企業で取り組まれ(取り組もうとされ)ているAIを活用したDX。さて、人工的に知能を創ろうとすると、そもそも「知能」とは何かに向き合うことになるわけですが、その知能を理解する上では、私たちヒトがどのような情報処理をしているかを知ることは有用なアプローチになります。 

情報処理の観点から、ヒトの知能・心のはたらきを理解しようとする学問が認知科学で、その領域は、心理学、神経科学、言語学、人類学、哲学なども各々がその一部を成していると説明されます[1]。

そして、この認知科学が、AI研究と密接に結びついていることは、多くのAI研究者(例えば、マービン・ミンスキー、ハーバード・サイモンなど)が、同時に認知科学者であることから考えると[2,3]、わざわざ言うまでもないことかもしれませんが、今回は、AIを考える上で参考になる認知科学の知見を紹介することから始めたいと思います。 

知覚と感覚と感情・思考と行動は必ずしもイコールではない

一言でいえば、私たちヒトの認知(情報処理)は単純ではなく、非合理と思えるような認知も多々あるということです。私たちは、自分たちは合理的に考えて、合理的に行動していると思いがちなのですが、実際には、合理的だとは思えなかったり、歪んでいると思われたりする認知・行動を日々しています。 

下図を見てみてください。

線が斜め・あるいは少し曲がっているように見えないでしょうか。この横線はすべて平行な直線で描かれています。定規などを上図に当ててみれば明らかに平行な直線であることが確認できると思いますが、直線だと理解した上で、あらためて見てもやはり斜め・あるいは曲がっているように見えるのではないかと思います。 

私たちの目(網膜)には、直線の可視光の情報が入っているはずです。しかし、その情報が視神経を通って視覚野に至り認知される過程で、斜線・曲線として認識されてしまうのです。五感を通して世界を体験することは、情報を受け取る受動的なプロセスではなく、人が能動的に体験を作り出しているということなのです[4]。 

また、「吊り橋効果」という有名な現象があります。高さ100m以上の吊り橋を渡る時など、その高さを感じて心拍数が上昇します。恐怖を感じるわけです。しかし、その吊り橋を異性と一緒に渡ると、その心拍数をその異性への恋愛感情だと思ってしまうという話です。

高さで上昇した心拍数を恋愛感情と誤認してしまう、このような本来の原因ではない別の要因に認知してしまう現象は、心理学で「誤帰属(misattribution)」と呼ばれます。誤帰属には3つタイプがあり、「吊り橋効果」はタイプ3に属する誤帰属になります[5]。 

もう1つ紹介すると、私たちは「心や頭で思ったことや考えたこと」に基づいて「行動」していると思われがちです。しかし、この心が先か体が先か問題、具体的にいえば、悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか、好きだから見るのか、見るから好きなのかなどの問題について、心で思ってから行動を起こしているわけではないという研究結果が報告されています。[6] 

これらの認知科学の研究が示唆していることは、一般的な通念とは異なるものかもしれません。ただ、ヒトを「感覚⇒知覚⇒感情・思考⇒行動」というような単純線形構造で理解するには限界があるということは、自分自身のことを振り返れば納得できることもあるのではないでしょうか。こうした知見はAI(人工知能)を設計する上でも有用になります。 

知能は脳の中にだけあるというわけではない

産総研人工知能研究センター センター長の辻井潤一先生は「人工知能研究の基本の部分に心身二元論がある、特に計算論的なAIは『心の独立性』をかなり言ってきました」「しかし、人間を全体として見たとき、やはり心身を分けて考えるという限界が出てくる」と話しています[7]。心身二元論とは、心と身体は別々なものだという考え方ですが、この心身二元論に対しては多くの学術的な批判があるわけです。 

例えば、自分の中(脳や胸の中)に自分の行動を起こしている中央指令室(コックピット)のような核となる心理・思考の器官があるというのも、一般的には普及している考え方で、自分の中のリトル〇〇が心の中で囁きましたというような話は実際よく聞くと思います。

しかしながら、これも心理学では「ホムンクルス誤謬」という矛盾した考え方とされています。自分の中のリトル〇〇が自分の行動を決めているとすると、そのリトル〇〇はどのように物事を決めているのでしょうか。リトル〇〇の中にリトル・リトル〇〇がいるのでしょうか。そうすると、リトル・リトル〇〇の中にはリトル・リトル・リトル〇〇がいて、リトル・リトル・リトル〇〇の中にはリトル・リトル・リトル・リトル〇〇がいて…、以下、無限に続くことになるので、無理がある考え方だと認知科学ではされています。 

他にも、脳科学者アントニオ・ダマシオも「心と呼んでいる生理学的な作用は、その構造的・機能的総体に由来するものであり、脳のみに由来するものではない」としています[8]。

また、資生堂で皮膚を研究した傳田光洋氏も、「知能」は脳に存在すると私たち人間は考えがちで、たとえばロボットの構造を考えるとき、脳の代わりとなる中央情報処理機構(CPU)が不可欠であると思うものですが、広く生物の世界を眺めてみると、そんな中央情報処理機構、つまり脳がなくても、高度な判断、行動を示すものが多く存在すると説明し、脳だけではなく「皮膚が持つ知られざる情報処理能力」(触覚だけではなく、皮膚も、聴いたり、見たり、味わったり、嗅いだり、予知したり、考えたりしているということ!)についての研究成果を紹介しています[9]。

さらには、アリやヤドカリ、そしてダンゴムシの研究結果から、道具の使用や問題解決という知能的な現象は、大きな大脳を持たない生物にも見られることを示した上で、大脳を前提とする既存の知能観からのパラダイムシフトも提言されています[10]。
 
これらの知見が示すように、AI開発でもユーザーリサーチでも、頭の中のコアにある何かを追求しないこと、まず「行動としての事実(誰から見てもわかること)」のデータを(可能な限り)収集して、次にその際の状況(認知されたこと、頭の中のこと)についてのデータ収集をして、現象のモデリングすることは有用だと思います。 

このように知能や心理は身体の中にあるものではないと考えるのは、実践論(Practice Theory)でも同様で、このパラダイムシフトは実践論的転回(プラクティス・ターン)とも呼ばれます。これにはエスノグラフィー(注1)、状況主義的学習論、ドゥルーズ哲学、アクターネットワーク理論なども含まれると考えられ、決して少数の科学者が唱えている説ではありません。こうした議論は認知科学のみならず、哲学分野にもつながっていきます。 

(注1)デザイン思考などでも広く実施されるワークショップという手法や、ドナルド・ノーマンが提唱する活動中心(Activity-centered)の活動(activity)という概念も、状況主義的学習論に基づくものと理解できます。この状況主義やUXについては『デザインドリアリティ[増補版]―集合的達成の心理学』有元典文, 岡部大介(著)[11]がおすすめです。

客観を捨てる!?

NHK Eテレ「サイエンスZERO」の元ナビゲーターとしてもお馴染みの竹内薫氏は、著書『99.9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』の中で、客観とは、世間の誰もが白に近いと認める仮説にしたがうこととした上で、唯一の客観的な説があると考えるのは思想統一と同じなので、まずあきらめましょう。「よく(特に学問の世界では)、ものごとは客観的にみるのがよいとされていますが、世の中に100パーセントの客観などありえない」、哲学の言葉でいえば「客観から主観へ」ということを解説しています[12]。
 
また、「因果推論の科学」にてジューディア・パール氏は、因果関係に迫るためには、「客観的であろうとする姿勢を捨て、主観的な知恵に頼ること」、「それによって、現実世界のありようを広く、深く理解できる」として、単に観察することで得られるデータだけではなく、介入することや、事実としては起こらなかったことを想像する(what ifを問う)ことが必要だと主張しています[13]。

このパール氏がいう介入などは、エスノグラフィーにも通ずるものです。客観的にエスノグラフィーしようとするのは論理矛盾で、中立・中庸・無味無臭の空気のような存在で観察しようとするのは、そもそもエスノグラフィーではないのですが、そのようにしては上手くいかない理由などについては、下記の拙著論文[14]を参照していただければ幸いです。 

エスノグラフィーだけではなくて、実践論的転回(プラクティス・ターン)で紹介したアクターネットワーク理論も、物事を絶対的な客観という視座では捉えません。これまでのAIサービスシステム開発の事例を振り返り、こうした考え方がAI開発に有用だったと考えています[15]。

まとめ

今回は、AIと認知科学と哲学というテーマで、AI開発に参考になる認知科学や哲学の知見を紹介してきました。

1.知覚と感覚と感情・思考と行動は必ずしもイコールではない
2.知能は脳の中にだけあるというわけではない
3.客観性を捨てる!?

これらは一般的な考え方とはかけ離れたものだと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、認知科学や哲学では、広く議論されている考え方です。ヒトとは何か、社会とは何かを長年追求してきた知見が、「知能」を開発しようとする時に役に立たないわけがなく、実際にAIサービスや機械学習デザインに有用で、様々なプロジェクトにおいて活用しています。 

今回、ご紹介した内容に関する参考文献は、下記のリストになります。身近にあるAI戦略からさらに1歩踏み込んだ認知科学・哲学への知識を深める1冊、ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。 

<参考文献>
[1] 安西祐一郎(2011)『心と脳 認知科学入門』岩波書店.
[2] マービン・ミンスキー,wikipedia.
[3] ハーバード・サイモン,wikipedia.
[4] 菊池聡(2014)『錯覚の科学』放送大学教育振興会、 p.14.
[5] 外山みどり(2012)「誤帰属過程における認知の顕在性‐潜在性」『 研究年報/学習院大学文学部』(59), 63-78.
[6] 下條信輔(2008)『サブリミナル・インパクト―情動と潜在認知の現代』筑摩書房.
[7] 村上陽一郎, 辻井潤一, 金田伊代, 清田陽司, 三宅陽一郎, 大内孝子(2022)「[第8回]変容する社会と科学, そして技術」. 人工知能37(3), 371.
[8] アントニオ・R・ダマシオ(2010)『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』筑摩書房, p.28.
[9] 傳田光洋(2015)『驚きの皮膚』講談社, p.16.
[10] 森山徹(2011)『ダンゴムシに心はあるのか 新しい心の科学』PHPサイエンスワールド新書, p.142,189.
[11] 有元典文, 岡部大介(2013)『デザインドリアリティ[増補版]―集合的達成の心理学』北樹出版.
[12] 竹内薫(2006)『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』光文社, pp230-231.
[13] ジューディア・パール, ダナ・マッケンジー(2022)『因果推論の科学 「なぜ?」の問いにどう答えるか』文芸春秋.
[14] 安松健 (2022)「創造的思考の脱中心的・現働的理論展開 渾然一体としての創造理論」pp.6-7, pp89-90.
[15] 安松健, 山下和也, 本村陽一 (2022)「脱中心的アプローチによるAI サービスシステム開発 アクターネットワーク理論で捉える活動デザイン」 人工知能学会誌, 37(2).

エクサウィザーズでは、様々な機械学習エンジニア、デザイナー、各ドメインエキスパートに加えて、認知科学、社会学、経営学などを専門とするメンバーも在籍しています。

異分野の専門家とのコラボレーションによるプロジェクト推進に興味がある方は、実際、メンバーがどのようなプロジェクトに取り組んでいるのかなどをご紹介するカジュアル面談で情報交換できればと思いますので、ぜひお気軽にお問合せください。

まずはカジュアル面談を申し込みたいという方はこちらから。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!